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暴力的な平和主義者www

日本の「平和」論者の暴力的な理屈
単に戦争のない状態が平和なのか
2015.8.19(水)

「平和」は暴力にもなりうる。最近の日本での安保法制論議を見て、そう感じてしまう。暴力とはもちろん比喩である。暴力的な効果とでも呼ぼうか。より正確に述べるならば、「平和」という言葉の高圧的な叫びが、日本の国民や国家を守ろうとする努力を破壊する政治的武器に使われている、という印象なのである。

 朝日新聞や日本共産党などが先導する安保法制反対の主張がその例証である。この種のキャンペーンでは、「安保法制法案は平和を壊し、日本を戦争に巻き込むことが目的なのだ」という非難が叫ばれる。集団的自衛権の行使容認に賛成する者は「戦争を好む、平和の敵」と断じられる。法案に賛同する政治家の片言隻句を軍国主義とか好戦主義と攻撃する様は“暴力的”とさえも映る。
「平和」とは「戦争のない状態」なのか

 広島、長崎への原爆投下、そして終戦という記念日がある8月は、「平和」というスローガンが日本中を覆うように頻繁に、声高く、あるいは悲痛に唱えられる。だが、その「平和」とは何を意味するのか。

 日本で語られる「平和」は、単に「戦争のない状態」を指すと言ってよい。だが、単に戦争さえなければよいとなると、他国に支配された「奴隷の平和」でもよいことになる。自由も人権も民主主義もない状態でも、戦争さえなければ平和だということになる。

 しかし「単に戦争のない状態」だけを国家の安全保障の目標とすると、国家が国家ではなくなってしまう。一切の軍事衝突(つまり戦争)を禁じると、自国に対する軍事的な攻撃や威嚇にもまったく抵抗してはいけないことになる。


「正義の戦争は存在する」と演説したオバマ大統領

 ところで日本の戦後の平和は、70年にもわたり何によって守られてきたのだろうか。

 憲法9条をあげる人もいるだろう。だが、日米安保条約による日米同盟、そしてその支柱となる強大な米軍の軍事抑止力こそが、戦後の日本の平和を保ってきた大きな要因であることを否定する人は少ないはずだ。日本の平和が米軍の軍事抑止力によって保たれてきたことは、否応のない現実だと言える。

 朝日新聞は8月15日の戦没者追悼式典の報道で「平和今こそ」という大きな見出しを掲げていたが、それならば、日米同盟と米軍の日本防衛の強化を目指すべきだという議論は十分に成り立つ。

 ところが日本の安保法制反対派は、日本の平和の要因として日米同盟を論じようとはしない。それどころかいかなる軍事力も抑止力も、現実的にも概念としても平和の敵であるかのように非難するのである。

 安保法制反対派は、過去の日本の「植民地支配」や「侵略」を絶対的な悪だったと断じる。だが、その絶対悪を除去したのは米国の軍事力であり、戦争だったという歴史の真実には触れようとしない。戦争こそが日本の「植民地支配」や「侵略」にとどめを刺したのだ。米国や中国にとってのその戦争さえも悪だったと否定するのだろうか。

 オバマ大統領は前記のノーベル平和賞受賞の演説で「正義の戦争は存在する」と強調していた。だから米国では8月には対日戦争の勝利をさまざまな形で祝う。日本にとっては悲しいことではあるが、「原爆投下に神への感謝を」(米「ウォール・ストリート・ジャーナル」の8月5日の論評)という主張さえ繰り広げる。あらゆる戦争を否定しようとする日本の一部の認識が、国際的にはいかに異端かが分かるだろう。

 集団的自衛権の限定的な解禁によって日米同盟を強化することは、本来は平和を維持するための方法である。しかし、そのことに賛同する者は、あたかも平和自体に反対するかのような濡れ衣を着せられている。しかも、その濡れ衣を着せる手法は問答無用であり、たぶんに暴力的なやり方なのである。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44560

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「安保反対」「あべしね」と言っているのは外国人や反日組織が多いことに気づけばいいだけ。

奴らは日本の弱体化が目当てなだけだから。

積極的平和主義、何が何でも平和を守る、戦って日本を守るってことのどこがいけないんだ?
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