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護憲派メディアwww

「サンデーモーニング」の何が気持ち悪いのか/潮匡人(評論家)
PHP Online 衆知(Voice) 11月24日(火)17時17分配信


――護憲派メディアの辞書に「悔悟」「懺悔」の文字はあるのか

◆朝日の虚報は今日も続く

 先日『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)を上梓した。おかげさまで売れ行きは好調。発売早々、異例の大増刷となった。一般読者のあいだで護憲派メディアへの疑問や反発が高まっている証左でもあろう。拙著の主題は平和安全法制。いわゆる安保法案である。院内での乱闘騒ぎの末、9月19日に可決成立。同月末に公布された。今後、半年以内に施行される。

 この法案をめぐり昨年来、護憲派マスコミが誤報や世論誘導を続けてきた。たとえば『朝日新聞』は朝刊1面のトップ記事でこう書いた。
「自衛隊員は自らや近くの人を守るためにしか武器を使えなかったが、法改正で任務を妨害する勢力の排除や住民の安全確保にも使用が可能になった」(9月24日付)

 これでは「法改正」(平和安全法制整備)の意味が伝わらない。訂正しておこう。あえて記事を活かせばこうなる。

「自衛官は自己を守るためにしか武器を使えなかったが、法改正で近くの他人を守るためにも使用が可能になった(以下略)」

 護憲派が信奉する新聞の1面トップにしてこの始末。9月22日付朝刊記事「安保法 自衛官OBの懸念」でも冒頭こう書いた。

「成立した安全保障関連法により、日本は集団的自衛権の行使が可能となるほか、海外に自衛隊を派遣して常時、他国軍を後方支援できるようになる。自衛官OBの中には、米国の戦争に巻き込まれる懸念や、リスクの増加を指摘する声がある」

 法改正により「行使が可能となる」集団的自衛権は「存立危機事態」に限られる。きわめて限定的である。記事がそう明記しない理由は何か。同様に次の「常時」も針小棒大。最後に至っては論外。もし「自衛官OBの中に」そうした「懸念」や「声がある」としても、そうでない声も多数ある。実際にOBや現場の声を拾いながら「リスクの増加を指摘する」なら、記事の「集団的自衛権の行使」や「後方支援」ではなく、国連PKO(における安全確保業務)を例示すべきである。どう考えても、後者のほうがリスクは高い。事実ほぼ毎年、3桁の犠牲者を出している。

 だが『朝日新聞』の「報道」は違う。法案の可決成立を受けた9月20日付朝刊1面のトップ記事でもこう書いた。

「歴代政権が認めてこなかった集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更によって容認したことに加え、自衛隊が他国軍を後方支援する際、自衛隊の活動地域をこれまでより拡大させることで、自衛隊のリスクが一層高まるとの指摘もある」

 本気でこう勘違いしているなら、ジャーナリズムとして恥ずかしい。そうでなく意図的なら、じつに罪深い。国連PKOへの自衛隊派遣は、いまや国民世論の大半が理解し、賛成している。他方、集団的自衛権行使への理解は少ない。だからPKOを避け、集団的自衛権を指弾した。そういう意図であろう。ならば、本心から「自衛隊のリスク」を心配しているわけではない。
 近い将来、自衛官は避け難いリスクに直面すると思う。先般「自衛官OB」として出演した番組でもそう明言した。ただし、私がOBとして(加えていえば、いまも防衛大学校生の父親として)「懸念」するリスクは「憲法解釈の変更」とは関係ない。本来ならいうまでもないが、集団的自衛権より個別的自衛権行使のほうが桁違いにリスクは高い。
 護憲派が何でもかんでも「集団的自衛権」のせいにしたり、「戦争法案」とレッテルを貼ったり、「徴兵制の不安」を煽ったりしたせいで、実際の問題点が見えなくなってしまった。現場が抱くリアルな懸念や、実務上のリスクが伝わらなかった。いまなお現場の思いは国民に届いていない。

◆暴走するテレビの演出

 大学入試問題の出題率NO.1を誇る『朝日新聞』の「報道」にして連日この始末。テレビ報道はさらに酷い。とくにTBSが目立った。最近の報道に限り検証しよう。

 9月13日放送の「サンデーモーニング」は、姜尚中(東京大学名誉教授)が「近代の歴史にも暴君征伐論があった。君主が酷いことをやったら、ひっくり返していい」と総理を「暴君」に例え「征伐」を奨励した。何の釈明もなく同席していた青木理(ジャーナリスト)が「立憲主義を無視する政権をこのまま存続させるべきなのか。その判断を僕らの側がする」と追従した。

 さらに岸井成格コメンテーターが「集団的自衛権という言葉が悪い。一緒になって自衛することだと思っている(国民がいる)が、違うんですね。他国(防衛)なんです。撤回か廃案にするべき」と暴論を振りまいた。念のため付言すれば「集団的自衛権」は国連憲章にも(英語等の公用語で)書かれた世界共通の言葉であり、岸井のコメントは外国語に翻訳不可能である。国際法や世界の常識に反している。「悪い」のは「集団的自衛権という言葉」ではなく、彼の知力であろう。善悪を判断する知性を欠いている。

 9月16の「ニュース23」も、藤原帰一(東京大学教授)が「瑕疵がある」と政府与党を批判。ここでも岸井コメンテーターが「審議不十分」と批判した。さらに石川健治(東京大学教授)が「法学的にはクーデター」と断じ「専制主義、非立憲」と断罪。岸井が「日本の民主主義は暗い」と総括した。すべて彼らの主義主張にすぎない。「暗い」のは日本の民主主義ではなく、彼らのコメントであろう。

 法案の可決成立を受けた9月19日放送の「報道特集」では金平茂紀キャスター(TBS執行役員)が「過半数の国民が反対するなか、戦後70年『専守防衛』を貫いてきた安全保障政策が大転換しました。立憲主義と国のあり方はどう変わっていくのか。徹底検証しました」と導入した。正しくは政府が説明するとおり、今後も「専守防衛」が続く。べつに「大転換」でも何でもないが、彼らには馬耳東風。

 番組は「自衛隊員家族 募る不安」と題し専用ホットラインへの「相談件数は2日間で35件に上った」と紹介した。「現役自衛隊員の両親」が「本当に引き戻したい。ほとんどの親はそうですね」とも語ったが、実態を反映していない。「ほとんどの親」は「引き戻したい」とまでは思っていない。もしTBSが報じたとおりなら、相談件数が2日間で35件に留まるはずがない。現役だけで24万人、両親はその倍もいるのだから。

 自衛官と家族が感じているのは、こうした「報道」への反発である。国民の理解や支持なく派遣されることへの不安であり、乱闘騒ぎを起こした政治への不信である。それなのに、番組では山崎拓(元自民党副総裁)が「禍根を残した」が「政権交代すれば修復可能。解釈が戻る」とコメントした。こんな人物が自民党政権下の防衛庁長官だったのだ。正直、皆ウンザリしている。現場には平和安全法制への不満もあるが、誰も「政権交代」は望んでいない。民主党政権を懐かしむ隊員など一人もいまい。

 翌20日放送の「サンデーモーニング」も凄かった。まずテロップで「安保法成立 海外で武力行使可能に」。だが、その可能性はまずない。なぜなら「例外なく事前の国会承認」となるからだ。そう与野党で合意され、閣議決定された経緯を無視した断定である(『夕刊フジ』10月第2週連載拙稿参照)。

 まず司会者(関口宏)が「平和主義を空洞化させる動き」と導入。寺島実郎(多摩大学学長)が「国民の支持も理解もない法案」、田中優子(法政大学総長)が「長いあいだ議論したというが議論していない」と断じた。いずれも独断ないし偏見である。有名大学の学長や総長が何といおうが、事実は違う。第1次安倍政権以来議論してきたのだ。昨年7月1日の閣議決定以降だけでも1年以上かけた。これでも、まだ足りないのか。

◆「自衛官のリスク」という口実

 さらに半田滋(『東京新聞』論説兼編集委員)が「憲法の制約が取り払われて、ほぼオールマイティで何でもできる。それは抑止力になるかもしれませんが、普通の国としてそのようなことをやるのは、憲法の要請するところなのか。立憲主義国家としていかがなのかと感じざるをえない」と批判した。「ほぼオールマイティで何でもできる」というが、自衛権行使要件は世界1厳しい。「普通の国として」というが、新法制下も日本は「普通の国」になっていない。ザックリいって半分以下である(論拠は月刊『正論』12月号拙稿)。

 続けて2004年の「派遣された陸上自衛隊の内部映像」が流れ、元小隊長が「もう一歩踏み込んだ審議をやってもらわないと、派遣された自衛官はほとんど負傷するか戦死するか、どちらかだと思う」と語った。なぜ審議をしたら「戦死」がなくなるのか。意味不明である。ここでも半田が「南スーダンの自衛隊が武器をもって日本人NGOを救出できることになる。安保法案では合法だが、刑法の殺人罪や傷害致死罪で裁かれる可能性がゼロではない」と語った。本気でそう心配するなら、刑法や憲法の改正を主張すべきであろう。自衛隊を軍隊とし、軍法会議を設置すべきと訴えてはどうか。安保法案を批判するのは本末転倒の倒錯である。

 さらに細川護熙(元首相)、小林よしのり(漫画家)、小林節(慶應義塾大学名誉教授)、「ママの会」、「シールズ」、佐高信(評論家)ら護憲派が次々登場。最後に岸井がこう締めた。

「これが後悔になっちゃいけないなと思うことは、メディアが法制の本質や危険性をちゃんと国民に伝えているのかなと。いまだに政府与党のいうとおり日本のためだと思い込んでいる人たちがまだまだいるんですよ。この法制ってそうじゃないんですよ。他国のためなんです。紛争を解決するためなんです。それだけ自衛隊のリスクが高まっていく(以下略)」

 岸井にいわせると、これでもまだ批判報道が足りないらしい。右は法案が「存立危機事態」の要件を明記した経緯を無視した独善である。外国語に翻訳不能な暴論である。もし彼が本気で「自衛隊のリスク」を心配するなら、前述のとおり別のコメントになるはずだ。たとえば国連PKO活動拡大の「本質や危険性をちゃんと国民に伝えて」ほしい。それが直接的には日本自身のためでなく「他国のため」「紛争を解決するため」であり「それだけ自衛隊のリスクが高まっていく」と視聴者に訴えてはどうか。だが護憲派は決してそうはしない。国民がPKOの自衛隊派遣を評価しているからである。受けない論点を避け、「集団的自衛権」や「後方支援」だけを咎める。自らは安全な場所にいながら、「危険(リスク)を顧みず」と誓約した「自衛官のリスク」を安倍批判で用いる。じつに卑怯な論法ではないか。

 10月11日の「サンデーモーニング」も司会者が「しっかり議論されないまま法案が通っちゃったという感じですよね」と導入。田中秀征(福山大学客員教授)が「軍事力で貢献しなくてもノーベル賞でこれだけ貢献しているじゃないですか」「あれ(法制)は、はっきり撤回しないといけない。このまま実施なんか、できないですよ」。目加田説子(中央大教授)が「(オバマ大統領が「誤爆」と謝罪したのに)誤爆ではなく無差別攻撃。戦争犯罪に近い」と決めつけ米軍を誹謗し「秀征さんがおっしゃったように、そこに今後、日本が加担していく」「この法案は通ってしまったわけですけど、使ってはいけない。変えていかなければいけないと強く思います」。

 日米の制服組(軍人)を犯罪者のごとく評する感覚は正常ではない。法案が与野党による賛成多数で可決された経緯も黙殺する。いったい何様のつもりなのか。

 萱野稔人(津田塾大学教授)に続き、金子勝(慶應義塾大学教授)が「いまのご意見と同じ」「平和憲法を使って、したたかに外交を展開しないと日本の国益は守れない」と政権を批判。岸井が「平和国家のイメージが損なわれるだけじゃなくて日本自身が紛争当事国になる」「テロのターゲットになるリスクも抱え込む」と不安を煽って番組は終了した。

◆「TBSは公平・公正」なのか

 百歩譲って、そのリスクがあるとしよう。ならば聞く。リスクは欧米諸国に負担させ、自らは決して背負わない。そんな卑怯な「平和憲法」とやらに価値があるのか。「したたかな外交」とやらで守れる「国益」など、高が知れている。要するにカネで買えるものであろう。そこに死活的な意味はない。護憲派の説く「平和主義」は美しくない。不潔である。腐臭が漂う。

 10月17日放送の「報道特集」は米軍普天間飛行場の辺野古移設を批判的に取り上げ、成蹊大学の教授に「安保法案に続いて、また非常に強引に政府が民意を無視するような形で政策を進めることになる。アメリカを含めた民主主義の先進国から見て『日本は本当に民主国家なのか』という疑問を投げつけられる」(武田真一郎)と真顔でコメントさせた。バカらしいので反論は略す。

 後半の特集では、佐世保を「旧海軍の街の特異性」が残り「奇異に映る」街として沖縄と対照させた。翌18日放送の「時事放談」でも浜矩子(同志社大学教授)が安倍政権の「法廷闘争」を「ゴリ押しでいこうという発想自体そもそも政策運営をする資格はない」と毒づいた。同日の「サンデーモーニング」でも前夜の「報道特集」と同じ米総領事への「単独インタビュー」を使いながら日米両政府を批判。姜尚中が「沖縄は呻き声を上げている」。田中優子が「人権問題」。涌井雅之が「興味深く総領事の発言を聞いた」と皮肉を語り、岸井が「民意を無視して強行するのは、ありえない無理筋」と批判した。ならば、普天間問題をどう解決するのか。

 以上すべてTBSの看板番組である(他は前掲拙著に譲る)。9月30日、武田信二社長が「『一方に偏っていた』という指摘があることも知っているが、公平・公正に報道していると思っている」と会見した。社長は自局の番組を見ているのだろうか。以上を「公平・公正」とするのは「民意」を無視した「ゴリ押し」であろう。放送事業に当たる資格がない。平和憲法を守れと訴える前に、テレビは「政治的に公平」「事実を曲げない」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を求めた放送法を順守してほしい。

 この秋、北朝鮮は弾道ミサイルを発射するであろう。核開発も止まらない。10月3日には、中国が新型弾道ミサイルを軍事パレードで披露。いわゆる「A2/AD(接近阻止・領域拒否)」能力と「対米核抑止力」を誇示した。だが、護憲派の視界は海外まで及ばない。北朝鮮でも中国でもなく、安倍政権を非難する。総理を「バカ」呼ばわりし、「早く病院に行って辞めたほうがいい」とわめく。学生を教え諭すべき教授(山口二郎・法政大)が「おまえ(首相)は人間じゃない、たたき斬ってやる」と叫ぶ。学生が「安倍を暗殺するしかない」とネット投稿する。

◆「良識の府」が聞いて呆れる

 護憲派は学生らを持ち上げたが、いずれも侮辱罪(拘留又は科料)や脅迫罪(3年以下の懲役)に当たる違法な暴言である。

 発言内容以前に法律上「何人も、国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域において、当該地域の静穏を害するような方法で拡声機を使用してはならない」(法第5条)。民間人に例外として許されるのは選挙運動や災害時の使用だけ(同前)。警察官は「当該違反を是正するために必要な措置をとるべきことを命ずることができる」(第6条)。「警察官の命令に違反した者は、6月以下の懲役又は20万円以下の罰金」が科せられる(第7条)。決して軽い罪ではない。

 憲法を守れと叫ぶ前に、法律を遵守してほしい。私も被害者だ。ネット上の「ゴー宣道場」(小林よしのり代表師範)が「潮匡人って男は、見かけはサルだが中身はサル以下!!」と書いた。名誉毀損罪(3年以下の懲役)ないし侮辱罪が成立する。安倍政権や「保守」への批判なら、誰が何をしても許されるのか。

 野党議員も例外でない。「平和主義」を語る前に、平和的に審議してほしい。ドサクサに紛れて自民党の大沼みずほ議員を引きずり倒し、投げ飛ばすなど論外。傷害罪(15年以下の懲役)ないし暴行罪(2年以下の懲役)が成立する。その罪は重い。動画で確認できた範囲で、自民党の吉川ゆうみ参議院議員以外、誰も助けようとも、制止しようともしなかった。本人の謝罪もなく両党幹部が“手打ち”。「良識の府」が聞いて呆れる。

 民主主義を殺したのは安倍政権ではない。暴力や卑劣な実力(セクハラ作戦)を行使した野党である。安倍批判を合唱したマスコミである。

 護憲派メディアの罪は重い。法案や与野党合意を報じるべき時間を割き、学生団体シールズらの絶叫を繰り返し放送した。女子高生の絶叫も垂れ流した。そもそも選挙権すらもたない高校生や10代の大学生らの無内容な連呼に報道価値があったのか。シールズの発起人はマスコミの寵児となったが、彼らに被選挙権はない。国会議員となる法的資格を欠く若造を国会に参考人として呼ぶ政党がある。テレビ番組に出演させる放送局がある。なんとも不思議な感覚ではないか。

 もし、護憲派に知性や良識があれば、こうはならなかった。拙著も企画されなかった。もっと理性的な議論が交わされ、法案は継続審議や大幅修正を迫られたはずだ。悲しいかな、彼らはまだ気付いていない。自分たちの間違いに。愚かで幼稚な過ちを犯したことに。なんとも救い難い。

 はたして、護憲派の辞書に「悔悟」や「懺悔」の文字はあるのだろうか。(文中敬称略)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151124-00000001-voice-bus_all

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正論を言うとネトウヨだって叩かれる。

日本って本当に言論の自由がなくなったと思う。
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